どうも,ひがみっぱなしのはまちゃんです。
F2.8通しレンズ・・・そういうのが世の中にありますね。そして通しがとてもとても立派なものであるような言われよう・・・。
「通しレンズ」という言い方からしてそう! ただ開放F値が変わらないってだけなのに!
もう答え言っちゃいましたけど,
「通しレンズなんて別にすごくないんだぞ!(涙)」「高級レンズでドヤらんでください!(大号泣)」
という稀有な人のために,私が全力の恥で通しレンズをディスります。
通しってなに?
いやー通っぽいですね,「通し」。字が同じだから読みにくいですね。
ズームレンズの機能についていう言葉で,「全ズーム域で開放F値が変わらない」というのを「通し」と言います。なので単焦点レンズにはこの概念はありません。
冒頭の「F2.8通しレンズ」というのは,焦点距離が例えば24mm-70mmで可変するズームで,どの焦点距離でも開放F値が2.8だということです。
すごいの?
すごいってことはないと思いますが,便利かもしれない,というのはあります。
よくあるズームレンズは「F3.5-5.6」とか,広角端と望遠端でF値が変わります。値で言えば他にも「F2.8-4」「F4-5.6」とか,便利ズーム(高倍率ズーム)では「F3.5-6.3」まで変化するものもあります。私が持っていたDA18-135mmはF3.5-5.6で変化するものでした。
このF値の変化が好ましくないとして通しレンズが開発されました。例えば私が持っていた18-135mmでいえば,広角端でF3.5で撮影したあとに広角端にズームインして撮影する場合,レンズの構造的にどうやっても自動的にF5.6まで絞りが変化してしまいます。
このとき,撮影モードを何かしらのオート(絞り優先・シャッター優先・感度優先・全部プログラム,など)に設定していると,同じ明るさになるように=露出が同じになるようにカメラがパラメーターを追従して変化させます。
F3.5のとき「シャッター速度が1/125」「感度が400」がいい感じの露出だったとすると,
F5.6になると大体「シャッター速度が1/60」になるか「感度が800」になるかのどちらかで同じ露出に調整します。絞りで約1段暗くなった分,シャッターを遅くするか感度を高くして明るくしようという意味です。(露出の1段とは明るさが倍か半分に変化することです。)
この数値を見るに,「手振れしそう」「ノイズが気になりそう」ですよね。手振れに関しては望遠になったうえでこれなので手持ちではもう無理です。
また,もしマニュアルモードだった場合は,シャッター速度や感度は自動で変化しないので,望遠にしてそのまま撮影すると約半分の明るさの写真になるということです。
このような「パラメーター変化による撮影時の注意の変化(オートの場合)」や,「写真の明るさの変化(マニュアルの場合)」を気にしなくていい,つまりシャッターチャンスとフレーミングに注意するだけでよくなります。
露出を意識から切り離せるのは,特にシャッターチャンスを重視する場面でとても有利です。一瞬を逃せないときにパラメーターいちいち気にしてたら大変ですよね。
なので通しは便利です。使ったことはありませんが。
なんでひがむの?
値段が高い(コスパが悪い)からです。
それも運用次第で存在自体が不要かもしれないレンズなのにです。
はよディスれ
さっきも言いましたが通しは便利です。というより,正確にはF値が固定できることが便利なんです。
「開放F値が変化しない機能」は不要だろってことです。
少なくともソフトで実現できればよく,ハード(レンズ)に実装する必要はありません。
ソフトで実現というのは絞り優先モードのことです。そして疑似的に通しレンズのように使うこともできます。望遠端での開放F値に絞りをセットしておけば,ズームアウトにしても絞りが開いていくことはありません。先の18-135mmのレンズならF5.6の通しレンズという使い方ができるんです。
それなのにわざわざ通しの機能をつける意味はもはやありません。本当ならもっと絞りが開けられるのにそれ以上開かないように上限を制限している,ということをしてまで,です。
どういうことかというと,例えばF2.8通しのレンズは,構造的にどうしても絞られてしまう望遠端側の開放がF2.8なのであって,広角端ではF1.7とかぐらいまで開くことができるはずなんです。
F1.7-2.8というスペック上の限界をあえてデチューンして使いやすさを取ったということです。
また,機能をあえて使い切れなくしているだけでなく,通しとなるとある程度の明るさで通しでなければ困ってしまうので(F5.6の通しとかだと暗くて逆に使いづらいから),真の開放F値を実現するためにはレンズ全体が明るい必要があり,明るいレンズは径が大きいため,値段が高価になり,大きく,重くなります。
値段が高いことをメリットと感じる人はいないでしょう。自転車乗りやファオタみたいに値段=戦闘力みたいな文化は,写真レンズにはありません。写真の価値は撮影機材に依存しません。
そして大きくて重い。大きくて重いレンズをぶら下げつつシャッターチャンスを逃さない立ち回りや展開の予想・・・そんなシーンがどれだけありますか? 結婚式場とかのカメラマンぐらい?
シャッターチャンスの一期一会さはあらゆる人に平等ですが,そのシャッターチャンスに全振りを求めるのってイベントのカメラマンぐらいじゃないですか? 子供の運動会や大会でそこまでする必要はないと思います。
仮にあったとしても,そういうのに作品的なものはもともと求められず,「記録できていること」が最重要になります。作品的に仕上げるのは,レタッチ含む後処理でやるようにしましょう。
ちょっとだけ擁護
あらかじめ絞られた絞りで撮影することになってしまう,ということは・・・
一般的に写真レンズは多少絞るほうが画質がいいように設計されているので,あらかじめ絞られるゾーンの広角側で撮影するときには,意識せずとも自然と画質のいい写真が撮れることが期待できます。
普通に撮影する(つもりの)ときにいつもレンズ性能がよく出る状態だという点は,まあ,悪い話ではないでしょう。私は絞りが開けられるほうがいいと思いますがね。
通しレンズ,いらないでしょ?
通しレンズ,いらないです!
私は生涯安レンズで戦っていきます! 安レンズで戦っていくことしかできない! よろしくお願いします!
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